超ゴワゴワ

遊戯王とか見ます。アニメについて考えたり読書したときになにか書くつもりでいます。

(一応)もう見た人向け「遊戯王GX」三期のメモ

f:id:mxitreya:20190416121227j:plain

去年の秋、遊戯王デュエルモンスターズGXを見ました。

 

☆見てない人向け・遊戯王デュエルモンスターズGXのあらすじ☆

優秀なデュエリストを育てるための学園、デュエルアカデミアを舞台に誰よりもデュエルを愛し、カードに宿る精霊を見ることができるという不思議な力を持つ主人公 遊城十代が様々なライバルと激突。デュエルを通して、アカデミアで発生する数々の難事件を解決していく。

dアニメストアより)

 

f:id:mxitreya:20190416194530j:plain

↑天上院吹雪さんが好きです。

とても楽しく視聴しました。どのキャラクターにも愛着が湧いて、漫画版まで揃えました。
ものすごくハマったんですけど、いまだによくわからなくて悩んでいる部分があります。

タイトルにもありますが三期のことです。

 

☆見てない人向け・GX三期とは☆

通称「三期」「異世界編」。GXの三年目・105話~156話を指し、作品の中でも異彩を放つ部分。
三年生に進級した十代たち。特別教師としてデュエルアカデミアに招待されたプロフェッサー・コブラが「デスデュエルディスクロージャーデュエル)」の開始を宣言する。生徒たちに装着されたデスベルトによってデュエルに対する心の動きを測定するとのことだったが、それは罠であった。
コブラはデスベルトによって生徒たちからデュエルエナジー*1を吸い取り、あるカードの精霊を蘇らせるために利用していたにすぎなかった。デスデュエルの異常さに気付いた十代たちは、コブラの捜索を始める。なんやかんやあって十代たちはコブラを追い詰めるが、コブラに取り憑いていたカードの精霊によってデュエルアカデミアは校舎ごと異世界の砂漠に飛ばされてしまう
次々にデュエルゾンビ*2と化していく生徒。無くなっていく食料。精神的にも追い詰められていく十代たちは、元の世界に帰ることができるのか!?

 

三期は鬱展開、暗くてヤバイというのは本当によく聞くので、GXの中で一番見たくないと思っていた部分でした。
実際に見てみて、なんか思ってたより鬱展開ではないなと思いました。
キャラクターがみんな理不尽に死んでいったり、暗くて難解な展開がずっと続くのを想像していたんですが、見ている人を落ち込ませるための「鬱展開」のような意図を感じなかったのです。

自分がどうしてそう思ったのか?そしてどういう風に三期を捉えるべきなのか?
それを整理するために、この記事を書いてみようと思いました。
主にキャラクターの役割、ストーリーの意味について考えていきます。
そのため解釈をまとめた記事ではなく、メモ書きのようなものであることをご容赦ください。

あなたはGXの三期についてどう思いますか?
私は三期を十代とユベルの二人がヨハンのようなヒーローに成長するための1年間であると考えています(今のところ)。

 

●ヒーローの持つ責任

TURN-112までは新キャラの紹介の話なんですが、TURN-113・114はSAL研究所の地下に現れた佐藤先生が十代の抱える問題点を指摘してくる重要な回です。
佐藤先生に指摘されたことは、三期の間中ずっと重要になってきます。

 

「キミはこんな質問を聞いたことはないか? ゴミが落ちているのに気付いて拾わない者と、気付かずに拾わない者。 さて、どっちが悪い?」

「そんなの、気付いて拾わない奴に決まってるだろ!」

「違うね…。落ちたゴミに気づいていれば、いつかは拾うかもしれない。 だが気付かない者には、永久にゴミを拾う可能性はない。 十代くん、キミこそ…落ちたゴミに気づかない愚かな人間だ」

(中略)

「キミが凡庸なデュエリストなら、何も問題はないさ…。 だがキミは、三幻魔を倒した英雄だ。破滅の光から世界を救ったのもキミなんだろ?学園の生徒達は、誰もがキミにあこがれている…。キミこそが、この学園の模範となるべきだった」

「オレがお手本なんて、冗談だろ?オレは自分の好きなようにやるだけさ!」

大いなる力には大いなる責任が伴う。だがキミはそれに気付きもせず、無気力と自堕落さを振りまいた…。キミに毒されなければ、もっと多くの生徒が、その才能を伸ばせたかもしれない…」

「そんな…。」

「十代くん。キミはもはや、みかん箱の中の腐ったみかんと同じだ。だから、私が取り除く!」

(TURN-114「絶体絶命!傷だらけのヒーロー」より)

 

「私たちには…キミに無い物がある」

「オレにない物?」

「そうだ。デュエリストの底に眠る、心の闇さ」

「心の…闇?」

デュエリストが心に背負うもの。 十代くん…キミにはそんなものは何もあるまい。」

「オレが心に背負うもの…?」

「私はこれまで、一度たりとも。自分のためにデュエルをしたことはない。 自分のことしか考えていないキミには、到底理解できないだろうねぇ。」

「そんなデュエルをして、何が楽しいんだ!?」

「楽しくなどないさ!…みんなの期待を背負い、強くあり続けるとは、そういうことなのさ」

(TURN-114「絶体絶命!傷だらけのヒーロー」より)

 

 

●ヨハンというキャラクター

ヨハンは三期から登場するキャラクターで、デュエルアカデミアノース校(アークティック校?)からやってきた留学生。
宝玉獣に選ばれたデュエリストであり、「精霊と人間のかけ橋になる」「自分のデュエルを通してみんなを救う」という目的のためにデュエルをしている。

 

「ヨハン…お前、何のためにデュエルしてる?」

「はぁ?」

「オレはさぁ、楽しいから…。いや、驚いたり、嬉しかったり…。やっぱり、楽しいからやってんのかな。悪ぃ。そんなこと急に聞かれても困るよな」

「どうしたんだ、十代…」

「…ちょっとな。」

「オレにはちゃんと目的がある」

「え?ホントか⁉︎ヨハン、お前の目的って何だよ?」

「…誰にも言うなよ」

「あぁ」

(中略)

「そのときオレはわかったんだ。例え精霊を見る力はなくったって、精霊と心を通わせることはできるんだって…だからオレは、そんな人たちのためにも。」

(TURN-115「精霊狩りのギース」より)
佐藤先生に自分が楽しむためだけのデュエルを否定され、コブラと決着をつけるために始めたデュエルに勝つことができたのにコブラに会うことが叶わず、デュエルをする目的を見失いかけた十代との会話。

 

「精霊の心を理解しない、罪の痛みを知れ!」

(TURN-116「宝玉獣VS地獄の番犬」より)

 

「オレは、オレの信じるもののために闘う…それをデュエルモンスターズで成し遂げるまで」

「羨ましいよ、お前にはそんな想いがあってさ…俺なんて楽しいだけでなんもないしなぁ」

「そんなことはない。きっと十代は自分で気付いてないだけさ。お前にもお前自身を支える想いが必ずある」

(TURN-117「決戦!十代VSプロフェッサー・コブラ」より)

 

「十代!オレは、自分のデュエルを通してみんなを救うのが夢だった!いま、それを叶える時が来たんだ!あとは頼んだぜ!」

(TURN-130「レインボードラゴン覚醒」より)
ガッチャポーズをしながら。自身が犠牲となってみんなを異世界から救った時。

 

SAL研究所侵入時にみんなをまとめたり、異世界に飛ばされてパニックになる生徒たちに冷静で的確な指示を出すなど強いリーダーシップを持つ。
十代と同じく精霊を見る力を持つことやデュエルを楽しむ姿勢や性格から十代と仲良くなるが、十代と違い自分の持つ力に伴う責任を知り、自分の周囲にいい影響を与える人物として描かれる。
ヨハンは佐藤先生が言うヒーロー像にぴったりのキャラクターで、特にヨハンを救うために異世界へ戻ったときの十代と比べてみると正反対です。
三期前半では十代が見習うべきヒーロー像の役割を、後半ではユベルに乗り移られ、精霊の心を理解しない十代とユベルを繋ぐ役割を担います。

 

●三期における十代

三期における十代の目標は、自分の持つ力を正しく使い、正しい目的のために闘うことができるようになることである。
三期では、世界を救うことのできるヒーローでありながら、その力にともなう責任の重さを知らず、自分が楽しむためだけにデュエルをしてきた十代の無責任さが取り上げられる。
自分のことを頼りにしてくれる翔に対する冷たい対応、アモンからの招待状を失くす、デュエルに負けたら死んでしまうというハードな状況を楽しんでるように見えるなどのちゃらんぽらんな行動のたびにヨハンがツッコミやフォローに回る。三期前半はヨハンと十代の対比のためにあると言っても過言ではないかと思います。
そして十代が自身の罪に気付くのは、自分の無責任さによって仲間たちを失い、そのショックでやさぐれて覇王になり、異世界中を支配し破壊し尽くした後になる。

 

「まだ奴にはわかっていない。自分の行動の結果に、責任が生まれることを…」

「いや、わかっているからこそ、自らの手でヨハンを助けようとしているんじゃないのか?」

「お前もまだまだ子供だな。」

「何⁉︎」

「もし、十代が異次元へ戻ることを知ったら、周りが放っておくと思うか?」

(TURN-131「エースカード大集合!!開け、次元の扉!」より)
ヨハンを救うために異世界への扉を目指す十代を目撃したヘルカイザーとエド*3の会話。エドは、十代がヨハンを異世界に残してしまったことに責任を感じていると思っている。

 

「なぜだ!オレの何が悪いって言うんだ‼︎オレは…オレはなすべきことをした!なのに…何もかもみんな、オレの側からいなくなってしまった…‼︎クソ…クソ、クソ‼︎オレの、オレの何が悪いって言うんだ‼︎」

(TURN-136「邪心教典発動!暗黒界の魔神レイン」より)

 

ここまでの十代は、佐藤先生の言うところのゴミが落ちているのに気付かない人間であると言える。
十代は異世界でのデュエルを通じて、自身が強大な闇の力である覇王の力を持つことを知る。十代は、使い方を間違えれば世界中の人を傷つけ苦しめる力を自身が持つことを受け入れられずに、異世界を彷徨い続ける。この状態の十代は、落ちているゴミに気付いて拾わない人間になったと言える。

 

「オレは…たくさんの罪を犯してきた…。融合のカードで、たくさんの人を傷つけていった…それなのに…なす術もなく、心の奥から見ているしかなかった。オレは…消えるべきなんだ…!」

(TURN-146「封印された融合」より)

 

 

●「支配すること」と「見守ること」

異世界でのデュエルは命のやりとりであることを知りながらデュエルを続けていた十代。邪心教典によって仲間たちを失ってもなお、ヨハンのために闘う十代に疑心を抱いた翔は、十代がどうなっていっても、それを見守り続けることが十代に対する友情の証であるという結論に至る。

 

「でも、お兄さんを元どおりにすることはできなかった…。ボク、これからどうすればいいんだろう?ねぇ、アニキならどうする?もし自分の大切な人が悪に染まっちゃって、元に戻せないとしたら…」

「見てるしかねぇなぁ…」

「え?」

「たとえそいつがどんなに変わったって、大切な人なんだろ?オレだったらずっとずーっと、見守ってる!」

「え?でも、それじゃあ…」

「あぁ。どうにもならないかもしれない。…でも、何かせずにはいられない。だから、オレだったら最後の最後まで、そいつが嫌がったって、見守っているだろうなぁ。それが、そいつを大切に想っているっていう証だと思うから…」

(TURN-137「翔の決意!『友情の証』」より)
翔の回想。時系列的にはTURN-95「仁義なき兄弟デュエル 亮VS翔」の後。

 

(兄さんの言う通りだ。遊城十代との出会いを消すことはできない。ボクの人生にとって、最も大切な出会いだったんだから…。もううろたえたりはしない。どんな風に変わろうと、最後の最後までしっかりとこの目で見届けてやる。それが、ボクの友情の証だ!)

(TURN-137「翔の決意!『友情の証』」より)

 

ちなみに、ジェネックスでのヘルカイザー関連の話でもこの考え方が説かれています。

 

「最初はオレも驚いたけどな。でもよぉ翔。カイザーには、オレたちには思いもよらないなんかスッゲー考えがあるんじゃないのか?そいつが何か確かめるためにも、いまのカイザーを見てやらなきゃいけないんじゃないか?…なんてな!オレはそう思うぜ!」

(TURN-83「ヘルカイザー亮VSマスター鮫島」より)
変わり果ててしまった兄にショックを受け、ヘルカイザーのデュエルを見ようとしない翔に対して。

 

(あれは、たしかに亮だった。キミは、リスペクトの心を忘れてはいなかった。ボクに対しても、ダークネスに対しても。そうなんだろう?)

(TURN-89「ヘルカイザーVSダークネス吹雪」より)
闇に囚われているように見えたカイザーを連れ戻そうとデュエルを挑み、敗北した吹雪さんのモノローグ。

 

大切な人が悪に染まった(ように見える)場合、力尽くで正しい方向へ導くのではなく、見守るべきだというのがこの作品の価値観ということになる。これは、十代に対してそうするべきというだけではなく、ユベルに対してもそうするべきであるということを指しています。
逆に、十代が覇王の力を使い、ユベルを倒す(つまり、ユベルを力で支配し、正しい方向へ導く)べきであるということは、三沢とタニヤが指摘してきます。

 

「十代!使うんだ!融合のカードを!」

「三沢!」

「責任を取らなきゃならないとしたら、こんな形じゃない!お前でなければできない、本当の敵を倒すことだ!」

(TURN-147「因縁の対決!サイバー流VS宝玉獣」より)
覇王状態から元に戻り、融合を使うことができなくなった十代とバオウとのデュエルで。この後も十代は融合を使うことができなかった。

 

「甘ったれるな!特別な力を与えられた者は、期待してくれているみんなのために闘わなければならないんじゃないのか!?」

「自分の力に怯えている時じゃない!」

「他の誰にもできない、本当の敵・ユベルを倒せるのは、お前だけなんだ!十代!」

(TURN-147「因縁の対決!サイバー流VS宝玉獣」より)

 

「十代。お前ならやれる。ヨハンを救い出し、この世界を元に戻すことができる。お前が願えば、その思いが強ければ、それはきっと現実になる。
この次元は、精神と物質がひとつに繋がっている。だから、お前の願いが強ければ、奇跡は起きる。任せたぞ、十代」

(TURN-149「魔神対決!幻魔VSエクゾディア」より)
三沢の話に対してハネクリボーが相槌を打つ。三沢は暗い表情の十代の手を取り、十代を送り出す。十代は覇王の力を使ってユベルを支配するということに納得できていない。

 

ユベルを受け入れるということ

ユベルは、覇王の力を持って生まれた十代を守るために自ら望んで力を手に入れた。十代が破滅の光と闘うために必要な力である。だがユベルの心は深く傷つき、自身の力を正しく使えていない。ユベルは、かつて覇王と化し自身が持つ力の使い方を間違ってしまった十代と同じなのである。
十代はユベルと自分の前世を知ったことにより、ユベルが自分のために力を得、そのために誰からの愛情も受け入れることができなくなったこと、前世でユベル自分の大切な人であったことを知る。

 

「お前の友は、その心の中に強力な覇王の力を持って生まれた。その力はいつか優しい闇に包まれた宇宙を救うだろう…しかし、少年の心が大人に成長するまで、誰かが彼を守ってやらねばならない」

「王よ、ボクにその役割を申しつけください!」

「だが、少年を守るためには、誰にも傷つけられぬ硬い鱗の鎧を身につけねばならぬ。そなたの若く美しい肉体は、二目と見られぬ醜い龍の姿になってしまうのだぞ」

「構いません!彼を守るためなら…」

(TURN-155「レインボー・ネオスVSユベル究極態」より)

 

「ボクたちが闘わなくちゃいけないのは、宇宙を破滅に導く光の波動。キミの魂を歪めてしまった光の波動を追い払い、覇王十代の魂が、キミに乗り移る。もしそれで、オレと言う存在がなくなってしまうとしても、オレは構わない。」

(TURN-155「レインボー・ネオスVSユベル究極態」より)
自分の存在が消えてしまっても、ユベルを受け入れるという決意を十代にさせたのはヘルカイザーの最期である。

 

「きっと…みんな元の世界に戻れる」

「え?」

「みんなと会えたら、伝えて欲しい。『迷惑をかけてごめん』って…」

「まさか、十代…ダメだよ‼︎どんなことがあっても、犠牲になんかなっちゃいけないんだ‼︎」

「いやオレは…そんなんじゃないんだ。みんなのための犠牲になるわけじゃない。オレは…そう。子供から大人になるために、いまから旅に出る。…ガッチャ。」

(TURN-155「レインボー・ネオスVSユベル究極態」より)

 

このガッチャは、みんなを救うために自らを犠牲にしながらも、「楽しいデュエル」であると言うガッチャのポーズをしたヨハンと重なる。
つまり十代とユベルが、自身の力を正しい目的のために使うヒーローとなるための旅立ちであると取ることができる。

 

「ガッチャ!楽しいデュエルだったぜ、翔!」

「えへへ。なんか久しぶりだね。これやるの…」

「え?そうか?」

「うん。ずいぶん昔に見たような気がする…」

(TURN-137「翔の決意!『友情の証』」より)

 

これの一個前のガッチャはTURN-96「相対性フィールド!十代VS天才博士」のようです。本当に久しぶりだった。

 

●改めて、GX三期について思うこと

「十代」という名前は、この作品を「10代の子供たちに見てもらえるように」というネーミングだそうです。
十代たち、この作品に出てくるキャラクターは、放送時期に合わせて成長し、三期では三年生に進級します。当時放送を見ていた10代の子供たちと一緒に成長していくキャラクターたちは、子供たちに何を伝えようとしていたのでしょうか。
2年目までで「どんなデュエルでも楽しい」というテーマを打ち出しておきながら、「楽しいだけではないデュエルもある」というストーリーに転換したのは、若干どうなの?という感じもしてしまいます。でも、主人公のスタンスを全部一回ダメっていう風にして、こういったストーリーを描き切ることもできるのは遊戯王のような超長期アニメならではだと思うし、カイザー風に言うと味がある作品だと思っています。
あなたは、GXの三期についてどう思いましたか?
私は次三期を見直すなら、アモンに注目して見たいなと思っています。

*1:謎。

*2:謎。

*3:森で何をしてたんですかね?